【地球不動産ものがたり -Real estate of the earth-】マカティ Philippines
2020年1月30日 07時30分
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~ 海外における都市開発の歴史などを毎回ひとつの国、そして都市に注目してスタッフ目線で語っていきます。今日はマカティを訪れます ~  日本在住のフィリピンから来た友人のお話、すでに結婚・出産している彼女は、親の介護の為、幼い子供を連れて数年間フィリピンに帰国した事があると私に話してくれました。せっかく慣れた日本での仕事や、夫や子供たちとの生活が一変するような決断をした彼女にとても驚きました。旦那さんもそんな彼女の決断を見守ってくれる優しい方なのでしょう。私の価値観を大きく揺さぶられたのを覚えています。  そのフィリピンの友人は、ちょっとのんびりしているけれど働き者で教育熱心、そして色々なことに気が利く優しい友人です。一人行動が多い筆者ですが、よく気にかけてもらっていてランチに誘ってくれます。そんなある正月、私は故郷の北海道へ帰省せず、一人で過ごす予定を彼女に伝えたところ驚いて、お家にお呼ばれされたことがありました。普通はお正月には皆、家族でのんびりしたいはずですが、誘ってくれる彼女はお人好しというか、私が寂しい思いをしているだろうと考え、放っておけなかったのでしょうね。一緒にいると、こちらもほんわか安心した気持ちになれる友人です。  そんな彼女たちの故郷、フィリピンにはどんな街があるのでしょうか。気になって調べてみたくなりました。そこで今回はフィリピンの主要銀行、企業、デパート、外国大使館が拠点を置いている「マカティ」を見ていきます。マカティは、マニラ首都圏の主要な文化および娯楽の中心地であることでも知られています。  2010年以降、高層ビルが立ち並び、新しいスカイスクレイパーは世界都市と呼ばれるようになったマニラの景観をどんどん塗り替えています。そんなフィリピンのポッシュエリア「マカティ」。実は言葉の壁が「マカティ」と呼ばれるようになったきっかけだったという言い伝えがあります。  昔昔、スペインのフィリピン植民地化時代よりも前のお話、ミゲル・ロペス・デ・レガスピというメキシコからの遠征隊員が、現地住民のタガログ人に、パシグ川の南にある沼地を指し「この辺りの地名はなんですか?」と尋ねた。そのタガログ人は、質問を誤って解釈し、パシグ川の引き潮を指し示し、「マカティ、クマカティナ」(「引き潮、潮が引いている」)と答えました。これがマカティの始まり。  16世紀、3つの独立した王国がパシグ川沿いを支配していました。そのうちの1つ(ナサパン)ラマヤン王国が、マカティエリアの一部を支配していました。  1890年代、武力をチラつかせながら、宗教を掲げるスペインがやってきます。フィリピンにいくつもあった王国は、次々と植民地になる承認をさせられ、カトリック教徒に改宗されます。今でも多くが熱心なキリスト教徒です。現地タガログ語の賛美歌があり、柔軟にフィリピン文化も織り交ぜられ、同じカトリック教でも独特な進化をしています。フィリピンの友人が、事あるごとに「オーマイガッ!オーマイガッ!オーマイガーッ!」と連発するのを横目で見て楽しんでいましたが、キリスト教徒が「Oh ! my God!」というのですから、笑い事ではありません。(笑)  スペインの植民地となったフィリピンは、太平洋やカリブ海を越えて、ヨーロッパへ、中国の産物を送る貿易の中継地点となります。フィリピンからメキシコまでを結ぶ太平洋航路に用いられたガレオン船はパイレーツ・オブ・カリビアンに出てくるような大きなマストを備えた大型帆船で、このガレオン貿易は19世紀はじめまで続きました。3~4つの大きな帆だけで太平洋横断できる遠洋航海術はすごいですね。貿易風や偏西風に乗って年に1回の往復だけでしたが、大利益をあげます。大判小判がザックザクッ。ただし恩恵にあずかれたのはスペイン商人かカトリック教会だけで、現地のフィリピンやメキシコでは積み荷の重労働をさせられるばかり、経済発展にはつながらず、独立を阻害したと言われています。ちなみに当時、積載オーバーで沈んだガレオン船が30艘もあるのだとか。お宝がまだ太平洋の海の底に眠っているかもしれません。  この時代、日本人も20人ぐらいマニラに住んでいたそうです。何をするために移住していたのでしょうか。商人でしょうか。実に気になります。1592年、豊臣秀吉時代の朱印船貿易をきっかけに20人から3000人まで増えていった日本人町。後の鎖国によって衰退します。  18世期1762年には七年戦争中、フィリピンから密輸を続けていたイギリス東インド会社にマニラ周辺を占拠されてしまいます。マニラの外では激しく抵抗し占領地の拡大を防ぎます。イギリスは1764年に撤退、マニラをスペインに返還します。  19世紀1898年スペインは、米西戦争で敗北。フィリピンおよびその他の海外の所有物を米国に譲渡され、米軍の保留地となります。フィリピンの領有権は約2,000万ドルで譲渡されました。トランプさんの「グリーンランド買っちゃおうかな?」と言ったときと同じぐらいの違和感です(笑)。そこに住む人や文化もお構いなしに取引がされていることが、しっくりこない原因かもしれません。  20世期には、フィリピンでの英語教育の普及が進みます。友人もタガログ語、英語、日本語を話します。バイリンガルを通り越してトリリンガルです。小さいときからタガログ語と英語の勉強、大きくなってから日本語と、小さい時に2つの言語を同時に学んでいるのが大きいですね。羨ましいです。  1934年、10年後の1944年にフィリピン独立を承認する法律が議会で可決されました。しかし独立目前で太平洋戦争が勃発。1942年、日本軍にマニラを占拠されました。多くの地元ゲリラが抵抗し、日本も1943年には独立を認めました。その矢先、1944年連合軍のアメリカがマニラを奪還します。日本軍と共に戦ったフィリピンの親日運動家たちは壊滅しました。  言葉も文化もゆるく、フィリピンのままを受け入れていたスペインの統治の方が居心地良かったのでしょうか。アメリカ軍、連合軍、への反発は激しかったようです。短い間でしたが日本軍の統治が最も窮屈だったとも言われています。  第二次世界大戦後にようやく独立、幾度もの内戦やクーデターを経て、今の平和なフィリピンがあります。第二次世界大戦後、アメリカ陸軍航空軍の極東空軍本部ニールソンフィールド閉鎖後、町は急速に成長し、不動産の価値は急上昇しました。  最初の自治体は、アヤラ イ コンパニア(Ayala y Compania )という大地主の努力のもと計画、設計されました。(現在のバランガイフォーブスパーク、ウルダネータ、サンロレンツォ、ベルエア)。 アヤラアベニュー(Ayala Ave.)やアヤラトライアングルパーク等、そこかしこで見かける”アヤラ”は地主の名前だったんですね。富裕層一族の名前として今でも紹介されています。  同時に、マッキンリー陸軍駐屯地は、ボニファシオ陸軍駐屯地と改名され、当時のフィリピン陸軍本部は、基地で働いていた軍事家族の為、さらに7つの自治体を構築しました。1950年代、最初のオフィスビルは、現在のマカティ中央ビジネス地区に建設されました。 1960年代後半から、マカティは国の金融および商業の首都に変わります。  そして現在のマカティ。フィリピンで最も多くの多国籍企業、国内の大企業が集まっています。フィリピン証券取引所の最大の取引フロアは、市のアヤラアベニュー沿いにあります。地盤は東京よりも硬く、鉄骨でもなく、鉄筋鉄骨コンクリートでもなく、鉄筋コンクリート構造が主流だそうです。鉄骨は材料を輸入せねばならず割高ですが、現場で手間がかかる鉄筋コンクリートでも賃金が安いので最終的に割安になるのだとか。 現在のマカティにある主な高層ビル PBCom Tower        259 m 52F 7B (竣工2000)オフィスビル Trump Tower Manila    250.70 m 57F (竣工2017)集合住宅 The Gramercy Residences  250 m 73F   (竣工2013)集合住宅 Discovery Primea     238.8 m 68F  (竣工2015)ホテル・複合住宅 Shang Salcedo Place    249.80 m 67F (竣工2017) Ayala Tower One      160m 35F    (竣工1996) Tower One Philippine Exchange Plaza Makati Sky Plaza      100m 24F    (竣工1999) (日本企業のオフィスが入っています。) LKG Tower         180.1 m 38F 5B (竣工2000) G.T. International Tower  181.1 m 47F 5B (竣工2001) RCBC Plaza Tower 1:   192 m 46F 7B  (竣工2001) RCBC Plaza Tower 2:   170 m 41F 7B  (竣工2001)  マカティは家賃が高いので、多く人は近郊から通勤します。そのため通勤ラッシュがひどいようです。マカティ内のコンドミアムを数人でシェアをして住んでいる人もいるとか。個人的には、最近すっかりお酒を呑んでいませんが、もし機会があるのならThe Gramercy Residencesのルーフトップバーでsunset を見ながらゆっくり呑める日が来るといいなと夢見ています。その時には、フィリピンの友人も誘ってみようと思います。 Junko Takahashi